アタシにはずっと、超えられない過去のアタシがいました。大学受験のための浪人生活を東京で始めるために1989年に上京し、大学に合格するためだけに過ごした1年間のアタシを、それ以降20年間、アタシは超えることができませんでした。それほどその1年間の、20歳のアタシは頑張り通していました。
中野新橋の高台にあった、女子予備校生だけを受け入れる一般住宅の予備校委託寮は、もともと広い部屋をベニヤで仕切って机とシングルベッドを置いたら椅子を引くくらいの場所しかないタコ部屋のような寮で、勉強していると隣の部屋の子の鉛筆の走る音が聞こえ、夏には部屋の絨毯が臭い、冬には手足の指の感覚がなくなりました。それでも、全国から集まった10人余の女の子たちは素直な子たちばかりで、土地土地の方言を話し、それぞれの実家から送られてくる土地の食べ物を共有しあって、「初めての東京生活」を若さが持つ感受性で楽しみました。なによりすばらしかったのは、その1年の間一度も苦しいと思わず心から浪人生活を楽しんだ上で合格したということでした。高校時代にバスケットや生徒会の活動に夢中になって進学校でもない高校で勉強など一切しなかったアタシはそもそも、偏差値を上げる勉強方法というものを知らずにいたために、上京して予備校生活にどっぷりつかることで予備校の授業の面白さも相まって机の上の勉強で結果を得る方法論を習得していくこと自体が楽しくて仕方がなく気がついたら上位クラスに編入し志望大学のいくつかに合格していました。合格後、アタシが勝手に決めて家出のように1年暮らした部屋を初めて見た父は、あまりの生活環境の悪さに愕然とし不憫さに落涙したと後に母に聞きました。でもアタシはただただ充実した1年を過ごした記憶しかありません。
アタシのその小さく狭い部屋は、もともとの部屋の広さに合う大きなベランダに面していて、机の前の窓からは広い空と新宿のビル群、そして少しずつ出来上がっていく新宿の都庁舎がいつも見えていました。山に囲まれた盆地育ちのアタシは、この部屋で生まれて初めて赤い線香花火のような朝日というものを見ました。このころの空の記憶は今でもとても鮮明で、今住んでいる広いベランダと空の見える部屋は、あの1年間だけ過ごした部屋の空によく通じていてます。そして今年を経験したアタシはようやく、このずっと超えられなかった20歳のアタシを超えることが出来たと実感しています。
12月に入って2010年の流れが毎日の中にも入り込み始め、来年に向けた自分へシフトチェンジするための苛烈な日々を送っていました。保留にしていた最後の決断を次々に行い、またそういう状況を選択せざるを得ない状況にも追い込まれつつ流されました。26日、最後の片付けに以前の家に行き偶然にも休みだった彼と一緒に思い出の写真などに足を引っ張られつつ楽しく整理をしているときに、彼がアタシの母の着物の入った桐箪笥の中からこの指輪を見つけました。
母から譲られて自分が持っていたこともまったく思い出せず、この石を母が身に着けていた記憶もありませんが、確かに母の持ち物だったようです。玉屋を始めたアタシだからこそこの石のクオリティもエネルギーもわかる今、しかも彼によって見出されてアタシの前に現れた、美しい昭和の細工の台にのったシルバーシラーの浮かぶローズクォーツ。奇しくもアタシの来年のテーマカラーはペールピンク、無条件の愛。この瞬間、アタシのエネルギーのシフトチェンジが完了したことがわかりました。2009年は『5』の年、変化変革の1年でした。自分に起こった数々の大きな変化は、言い換えればそうしたエネルギーに素直に順応して歩めた一年だったともいえます。来年は『6』の年、愛と調和の1年です。今年を踏まえ、表に見える状況とは別に、穏やかで緩やかで静かな1年を過ごそうと思います。2010年、アタシはこの指輪と共に新しい日々を楽しんで経験してくことでしょう。20年前のアタシを知る友人が先日贈ってくれた花はアタシのパーソナルカラーの紫とピンクが美しく混ざった薔薇でした。今日、新しい名前にもなりました。
この1年のアタシを支え続けてくれた家族、友人たち、そして何よりも玉屋としてのアタシを常に応援し支えてくださった玉屋を愛してくださる皆さんに心からの愛と感謝を。本当にありがとうございました。
どうぞよいお年をお迎えください。